建築や都市開発など世界で数多くのプロジェクトを手掛けている米国の建築設計事務所・ペリ クラーク ペリ アー キテクツ(PCPA)。2019年初春、その共同代表(シニアプリンシパル)を務めるフレッド・クラーク氏が来日し、鉄道やバスなどの交通施設を含めた街づくりについて、東日本旅客鉄道株式会社にて講演を行なった。
前編に続き後編では、同年米国・サンフランシスコに完成したばかりの大規模プロジェクト「セールスフォース・トランジ ット・センター」と隣接する超高層ビル「セールスフォース・タワー」について紹介された。
「セールスフォース・トランジット・センター」と「セールスフォース・タワー」
さて、続いてご紹介するのが今日のメインプロジェクトなります。米国・サンフランシスコで今年完成した「セールスフォース・トランジット・センター」と「セールスフォース・タワー」(2019 年)です。この計画については街づくりなどの視点から詳しくお話したいと思います。このプロジェクトは、最初のマスタープラン作成から完成まで約16年という歳月を要したものです。この地域は元々サンフランシスコでも長く開発が進んでいない場所で、約20 年前、ここには前近代的なバスのトランジット・センター(乗り換え施設)があり、周辺にはバスのための高架道路や駐車場が多く存在していました。ベイブリッジにも繋がるこの高架道路やこうした施設が街の真ん中にあることによって、サンフランシスコの街はここで分断され、さまざまな都市的問題を引き起こしていました。
プロジェクトがスタートして、バスの高架道路を全て壊した結果、広大な開発可能地域を生み出すことができました。そしてその空間に5,000 世帯が居住可能なレジデンスと商業施設、オフィスビルをつくることで、この地域全体を新しいミックスユースドの街としてつくり上げました。レジデンスは現在販売が終了して、建設作業が進んでいる状態です。このプロジェクトのポイントは新しい「セールスフォース・トランジット・センター」には駐車場を設けず、サンフランシスコの街がこの場所を越えて拡がる仕組みをつくり上げたことです。ご存知のように米国は車社会ですので、公共交通機関を前提として駐車場をつくらない開発は非常に稀です。このプロジェクトはサンフランシスコ市と私たちPCPA が一緒にマスタープランをつくり、その挑戦を実現させた大変珍しいケースであると言えます。
現在、多くの建物が完成したものの、一部まだ建設中のものもあります。私たちPCPA では、マスタープラン以外にもメインタワーの「セールスフォース・タワー」の設計も手掛けています。全体としてはシンボルタワーとなるこの建物を一番高くして、それに従って他の建物が繋がるという、大きなスカイラインを形成することをマスタープランとして定めています。「セールスフォース・タワー」以外に複合施設も私たちPCPA がデザインを手掛けています。他の建物の設計にはノーマン・フォスターやレンゾ・ピアノといった世界的に著名な建築家達が集い、現在それらの建設も進んでいます。
都市の空中に創出した緑の公園
「セールスフォース・トランジット・センター」の屋根部分には2.5ha(25,000m2)の広さの公園をつくりました。周囲の建物全てがこの公園に面しているので誰もが気軽にアクセスできます。全体計画を進めていた時に、このように屋根の上に緑の公園を設けて開放するのと、通常の建物のようにここをガラス屋根にするというふたつの案についてコストを算出して比較したのですが、この公園案の方が少し安いという結果が出ました。このスタディを実施したのが今から12 年前で、それが現在やっと完成しつつあるわけですので、街づくりの際には、10 年後、20 年後の街の状況やあり方をしっかりと予測しながら、その街にとって何が最善なアイデアなのかを考え、そこに入れ込んでいくことが、とても重要だと思います。
このようにして「セールスフォース・トランジット・センター」の屋上につくった公園は、サンフランシスコの既存の3 つの公園を合わせた面積に匹敵するほど大きな緑地を都市に提供しており、これは大変良かったと思っています。
都市機能の積層と調和
「セールスフォース・トランジット・センター」は12 系統のバス路線や鉄道など様々な交通システムが組み込まれていますので、その全体構成は大変複雑です。断面パースをご覧ください。一番下の層にはカルフォルニアの高速鉄道と地域の通勤鉄道「カルトレイン」を配置しています。1 階部分は「グランドホール」と呼ばれる開かれた公共空間で、その下の階が電車を待つロビー空間のコンコースです。「グランドホール」の上がバスのトランジット・センターとなり、その上が公園です。断面パースをご覧になるとわかる通り、「セールスフォース・トランジット・センター」は隣接する建物ととても近いので、パンチングメタルのスクリーンを設けて視線を遮ると同時に、換気や空気の自然な流れを確保しています。また上の公園に明かりとりを設けたことで自然光がまっすぐ下まで落ち、最も深い鉄道の層でも、その光が感じられます。
またこの施設は雨水の再利用や自然換気などの取り組みによりエネルギーコストを約半分に抑えています。また地熱も空調等に利用しています。こうした様々な取り組みによりサステナブルな仕組みを構築しているこの施設は、米国グリーンビルディング協会の環境評価システム「LEED」の最高評価・プラチナを受けています。
わかりやすさと居心地の良さ
これはメインエントランスがある1 階の「グランドホール」です。真ん中が吹き抜けとなっており、オフィスタワーである「セールスフォース・タワー」とも繋がります。「グランドホール」のデザインで心掛けたのは動線のわかりやすさです。交通施設において利用者がわかりやすいということは大変重要です。真ん中に大きなエスカレータがあり、明かりとりから自然光が降り注ぎます。このような自然光に包まれた明るい場所はとても人間的になりますので、こういった空
間をつくり出すことが開発においてとても重要ではないかと思っています。
バスのコンコースレベルは、バスがこの建物に入ってぐるりと回って出て行くかたちとなります。その真ん中の部分がお客様の動線や待合スペースになります。繰り返しになりますが、このような大きなトランジット・センターの計画ではできるだけわかりやすく動線計画をつくることが非常に重要です。
屋上の公園レベルには、コンコースレベルから様々な動線を使ってお客様が下から上がることができます。同時に隣接する建物ともブリッジで繋がっていますので、建物からそのまま公園に出ることができます。
ここにはいろいろな種類の草木が植えられていますので、子供達がここに来たときには植物や環境の大切さについて学ぶことができます。このように次世代のためにも緑は大変価値が高いと感じています。
またこうした空間においてはアートもとても重要な要素になります。この場所にはバスの動きに合わせて水が上がったり下がったりする噴水や、公園や施設の大きさを実感してもらえるアニメーションなどが織り込まれています。交通機関を利用するかどうかは別として、ここに来た大勢の方々に楽しんでいただくことが大事なのです。
新しい表現への試み
先ほどお話した通り、外壁の素材は自然換気を重視してアルミのパンチングメタルを採用しています。この外壁は3 次元の曲線で、各パネルは幾何学的かつ繰り返しのない非周期的なデザインを施しています。これは英国の数学者ロジャー・ペンローズ博士と共に2年を費やして一緒にデザインを考案しました。
このように私たちは「セールスフォース・トランジット・センター」にアートや科学をもち込むことにより、新しい表現をつくろうと試みました。トランジット・センターというのは老若男女、大勢の方が来られますので、例えば子供達にこうした数学者が考えた幾何学の説明をすると大変興味をもちます。このパネルの形を子供達に説明するだけでも30 分を要します(笑)。
皆さんが集まる施設でこのような試みができるのはトランジット・センターという施設の面白さでしょう。このようにいろいろな方に語れる物語があってこそ、建物はそれを利用する一般の人々が楽しめるものになると私は考えています。
都市の中での佇まい
完成した「セールスフォース・トランジット・センター」は非常に大きな建物ですが、雲のような軽い表情と表面を波型にデザインすることで、街の中でヒューマンスケールの建物として実現できていると思います。
トランジット・センターのような施設は、どうしても大きなスケールの建物となりやすいのですが、人のスケール感を大事にしながらデザインすることを心掛けました。完成した建物の上方には公園の緑が見えますので、街を行き交う人々にも「あそこに行ってみたい」という気持ちを喚起させます。
「セールスフォース・トランジット・センター」はそれまで雑然としていたサンフランシスコの交通インフラを整備すると同時に賑わいの都市空間をつくり上げました。また夜になると頂部がLED によって光って様々な表情をもつ「セールスフォース・タワー」は、サンフランシスコの新しいシンボルと言え、これらを大規模な再開発計画として同時につくり上げたことは、街づくりという観点でも大きな意義があったと考えています。ご静聴ありがとうございました。
フレッド・W・クラーク
ペリ クラーク ペリ アーキテクツの創立メンバーであり、現在、同社の共同代表を務める。
主なプロジェクトは、ニューヨークの「ワールド・ファイナンシャル・センター」、クアラルンプールの「ペトロナスタワー」、日本の「日本橋三井タワー」など。
1969 年の学生時代に建築家・シーザー・ペリと出会い、1970年にテキサス大学を卒業後、ペリがデザインパートナーを務めていたグルエン・アソシエイツで働く。東京の「在日米国大使館」などの設計に携わり、1977 年にペリと共に建築設計事務所を設立
[ペリ クラーク ペリ アーキテクツ]
http://pcparch.com