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DORA インタビュー

岩沙弘道氏(三井不動産株式会社代表取締役会長)インタビュー 「人のための都市環境を創造する」【3】

三井不動産株式会社代表取締役会長を務める岩沙弘道氏は、「東京ミッドタウン」をはじめとする数多くのプロジェクトにおいてリーダーシップを発揮され、その成功を導いてきました。
今回、DORAでは岩沙氏に幼少期から三井不動産に入社した経緯、まちづくりのビジョンと実践、そしてDX(デジタルトランスフォーメーション)に伴う社会と都市のあり方などについて、幅広いお話を伺いました。
最終回の今回は「日本橋地域の再開発」と「これからの社会とリアルの空間」に関するお話が展開されます!

次代に向けた日本橋地域のまちづくり

ここまで東京における再開発プロジェクトをいくつかお話させていただきました。ところでこの東京の原点と言える場所はどこかと言うと、それはこの日本橋なのです*1。ここから江戸の街ができていきました。ところが現代の日本橋は高速道路で蓋をされ、元々この地のレガシーであった水辺の潤いが損なわれている状態です。ここからは私たちが取り組んでいる日本橋地域のまちづくりについてお話させていただきます。
きっかけとなったのは1999年(平成11年)、江戸きっての大店であった白木屋を引き継いだ東急百貨店日本橋店*2の閉店です。あの場所は日本橋地域の顔と言える土地でした。もしこの跡地に普通のオフィスビルが建ってしまったら、繁華街ではなくなり、賑わいのない寂しい街になってしまうという危機感を地元の多くの方々がもちました。そして「三井さんもこの日本橋が発祥の地でしょう」と様々なご相談を受けました。
その頃、社長になっていた私は「大崎・五反田29ha地区」をはじめとしたプロジェクトで地域の方々と一緒にまちづくりをした経験がありましたから、コミュニティを挙げて実施するまちづくりの有益性やその可能性を感じていました。
日本橋の場合、幸い老舗を中心として地域全体が街の問題意識を共有していました。そこで私は「21世紀を迎える今が良いターニングポイントです。ここから日本橋の街を再スタートさせましょう!」と申し上げ、「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」*3(以下、日本橋ルネッサンス委員会)という組織を立ち上げました。
この委員会は日本橋地域に関わるあらゆる人や組織が参加するものです。若い人が参加する部会から、町内会、消防団、老舗の旦那衆の会、ロータリークラブ、三井グループはもちろん製薬会社や金融機関といった企業、そしてオブザーバーとして中央区と東京都も入る、産官民が一体となったNGOとしてつくりました。そして日本橋地域の活性化と日本橋川の再生のビジョンを提言し、21世紀のまちづくり策を発信していく活動を展開しています。
このNGOは米国の事例を参考にしたものです。NYやフィラデルフィアのまちづくりでは、地域の価値を共有して高めるため、そこに関わるあらゆる個人や組織が参加するNGOがタウンマネジメントやタウンデザインに関する提言を行っています。
この日本橋ルネッサンス委員会で、皆で知恵を出し合って考えた日本橋地域再生のテーマが「残すもの・蘇らせるもの・創るもの」です。この地域には、長年培われてきたまちの文化、地域のコミュニティ、そして「日本銀行本店本館」(1896年)、「三越日本橋本店」(1927年)、「三井本館」(1929年)、「髙島屋日本橋店」(1933年)といった重要文化財をはじめとした歴史的建築物など、数多くの資産があります。まずはこれを“残す”。そしてこれら個性ある地域の資産を次の時代に継承し、経済の発展と共に失われた自然や環境を“蘇らせ”、将来に向けた新しいまちづくりの中で活かしながら、次世代に向けたまちを“創る”。私たちはこれをまちづくりのコンセプトに定めました。
こうして日本橋のまちづくりが動き出し、その第一弾として東急百貨店日本橋店の跡地に「コレド日本橋」(日本橋一丁目三井ビルディング/2004年)がオープンしました。

[注]
*1 日本橋の成り立ち:日本橋は江戸の街において、最初に町割りが整備され、五街道の起点として江戸における交通・物流の要所となった
*2 東急百貨店日本橋店:元々、この場所には江戸三代呉服店のひとつ「白木屋」をルーツにもつ「白木屋デパート」が営業していたが、1967年に東急百貨店に買収され、東急百貨店日本橋店となった
*3 日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会:略称「日本橋ルネッサンス委員会」。活動の詳細は以下のHPを参照
Webサイト: https://www.nihonbashi-renaissance.com

歌川広重による浮世絵『東海道五十三次之内 日本橋』

東急百貨店日本橋店の跡地に建設された「コレド日本橋」(日本橋一丁目三井ビルディング/2004年)

日本橋らしい街並みを目指して

日本橋地域の街のあり方を議論している時に「この街を普通のオフィス街のようにはしたくない。ああいう街は現代の工場、オフィス作業工場だ」という話がよく出ます。私たちは均一で人間味に欠けるような街ではなく、ヒューマンスケールでウォーカブルな街、後世の人たちに「先人の都市再生事業のお陰で良い街になったね」と言っていただけるようなまちづくりをしたいと考えています。
例えば中央通り沿いの建物は「三井本館」の31mの高さ*4にラインを合わせて軒のラインを揃え、それよりも高層部分はセットバックして建てるようにしています。これによって街を歩く歩行者が圧迫感を感じることなく、それでいて高層階のテナントには眺望を提供することができます。
中央通りは歩行者にゆったりと歩いていただけるように歩道を広げました。地下鉄が走っている関係で、車道を地下にもっていき、完全な街路とすることは残念ながらできないのですが、カフェや商業施設の賑わいが溢れる、欧州的な歩行者空間が実現されています。
またこうしたメインの通りから中に入った路地裏についても、どうすれば日本橋らしい路地裏空間をつくることができるのかということで、都市計画的な規制からデザインまで含めて今検討を進めています。

[注]
*4 31m規制:1919年に制定された市街地建築物法(建築基準法の前身)において、住居地域以外の用途地域では建物の高さが100尺(後に31m)に制限された。1970年の建築基準法改正で容積制が全面導入され、撤廃された

「三井本館」(左側)の軒の高さで低層部が揃えられた中央通り沿いの街並み

店舗の賑わいと一体化した広い歩行者空間

水都・日本橋の再生

日本橋地域において現代までに失われ、今“蘇らせ”ようとしているものについてお話します。まずは日本橋の空です。日本橋川の上には首都高速道路の高架が走っていますが、将来的に神田橋から江戸橋までの間を地下に入れて、かつてのように日本橋に空を取り戻すことを計画しています。またこれに併せて日本橋川沿いを整備して幅約100m、長さ約1,200mのウォーカブルな水辺空間を創出します*5
幕末、オランダなど諸外国の人たちが江戸の街に来た時に「ベニスのように美しい!」と驚いたわけですが、明治以降日本が豊かになるために工業化を優先した中で、本来サステナビリティだった土地や街を痛めてしまいました。それに気づいて、今その修復をしているわけです。
川沿いの土手には、隅田川沿いを再生した「大川端リバーシティ21」のように桜と柳を植え、かつての水辺の潤いを取り戻します。ちなみに桜は陰陽において「陰の木」であり、それだけで植えるのは縁起が良くないとされています。そこで「陽の木」である柳と一緒に植えるのです。

[注]
*5 日本橋地域における水辺空間を活かしたまちづくり:以下、日本橋ルネッサンス委員会のHPにて提言の詳細が紹介されている
Webサイト: https://www.nihonbashi-renaissance.com/revival/mizube-proposal.pdf

現在の日本橋の様子

日本橋川周辺の将来イメージ(© 三井不動産)

一連の計画は既に整備を進めているものも多く、そのひとつが江戸の名物のひとつであった船遊びの風景を取り戻そうというものです。既に日本橋や日本銀行のところに船着場が整備されており、屋形船やクルーズ船が入れるようになっています。
また地域の精神的な拠り所を再建するため、由緒ある「福徳神社」*6を再建(2014年)し、その隣には「福徳の森」を整備(2015年)しました。福徳神社では2年に1度神幸祭というお祭りが開催され、街に大きな活気をもたらしています。
「福徳神社」は「コレド室町」に隣接していますが、中央通りに並行する「コレド室町1」(室町東三井ビルディング/2010年)と「コレド室町2」(室町古河三井ビルディング/2014年)の間の道を、神社の参道として歩行者専用としています。この参道は将来的に日本橋川まで延長する予定で、そこに歌川広重が描いた日本橋を架けます。そしてその渡り初めを是非私がやりたいと思っています(笑)。橋の実現は20年後ですので、98歳まで元気でいないといけません(笑)。
さて、隅田川は一時に比べて随分と水質が良くなりました。同じように日本橋川も綺麗にしていかなければいけません。現在、都心では以前ほど工業用水を採らないため、例えば東京駅あたりの地下水の水位がかなり上昇しており、これを品川区の立会川まで導水管で運んで流しています。この水を日本橋川に回せば川の流量が増して、水質も改善していくのではないかと思っています。近い将来、東京湾の湾奥地区からこの日本橋に至るまで、季節折々の船遊びがより楽しめるようになるでしょう。
また首都高の高架が日本橋川の上から地下に移ることで風が抜けるようになり、ヒートアイランド現象も緩和されるのではないかと期待しています。

[注]
*6 福徳神社:伝記によると、9世紀には既に創祀されており、源義家・太田道灌・徳川家康とった武将をはじめとして多くの人々の崇敬を集めた。戦後の都市化の中で縮小していたこの神社は三井不動産が地元住民と協力しながら再建し、隣地には地域の交流拠点として「福徳の森」も整備された

日本橋周辺の将来イメージ。江戸橋から室町1丁目の親水空間を望む(© 三井不動産)

日本橋周辺の将来イメージ。日本橋川沿いの賑わい(© 三井不動産)

「コレド室町1」と「コレド室町2」の間の“参道”から福徳神社を見る

ポストコロナ時代のリアルとバーチャル

さて、ここからはポストコロナ時代における都市や空間に関するお話をしたいと思います。今回のコロナ禍は社会に様々な変革をもたらしていますが、都市や空間に関わるこれからのキーワードは「安心・安全で快適な密」ということだろうと思います。これをデータサイエンスとバーチャルを上手く使って実現していく。まちづくりに関してもスマート化する、要するにスマートシティです。同じようにオフィスやホテルなど様々な空間も今後こうした部分が重視されていくと思います。安心・安全ということには非接触であったり、抗菌・抗ウイルス対応の内装材を用いたりするだけではなく、データを活用したセキュリティも含まれます。もちろんそこで個人情報やプライバシーに配慮することも忘れてはいけません。
このようなデータサイエンスと融合するリアルの魅力、次世代型の都市空間というものを「日本橋」をはじめ、三井不動産が手掛ける様々なプロジェクトにおいてやっていきたいと考えています。
またコロナ禍によってテレワーク等、新しい働き方も見えてきました。今後はこうしたこともどんどん進めていく必要があります。働くという部分ではこれからの時代、人が集まるリアルの空間はかつてのように「事務処理をするための場」ではなくなり、完全に「価値創造の場」になっていくと思っています。また、「人との出会い」というのはバーチャルでは難しいので、新規顧客の開拓のような営業活動はどうしてもリアルの場が欠かせないでしょう。
このように私たちを取り巻く様々な様相が変わり、世の中がもっと暮らしやすく、もっと働きやすくなると思いますが、その一方で街のあり方自体は大きく変わらないだろうと私は考えます。それは生物として人間が長い時間を掛けて育んできた価値観というものは、そうそう変わらないからです。4Kや5Gをはじめ、テクノロジーの進化によって確かにバーチャルは鮮明になりました。しかし実際にコンサートや歌舞伎などに行って得られる楽しさや感動は、バーチャルとは明らかに違うものです。
このようにリアルの良さは変わらないのでしょうが、新たな気づきをもたらすテクノロジーが出てくるかもしれません。ただそういうものは使いこなせば良い。だから面白い時代に入ってきたと思っています。私たち三井不動産もリアル空間がネットやサイバーと融合して、私共の企業精神である「&コンセプト」*7、つまり「or」という「あれかこれか」という二者択一ではなく、「あれもこれも」色々な価値観を取り込んで、絶対価値をつくることを目指しています。

[注]
*7 &コンセプト:以下、三井不動産のHPに詳細が記されている
Webサイト: https://www.mitsuifudosan.co.jp/andspecial/

スマート化が未来を拓く

今は変革の時です。一見ピンチに見えますが、人間の需要が消えることは決してありません。この変革とどう向き合っていくのか、答えは簡単で「スマート化」なのです。あらゆる分野においてスマート化に向けたDX(デジタルトランスフォーメーション)が必要で、逆に今はそれを進めるチャンスなのです。
そういうものを如何に賢く使いこなして、新しい魅力や効率の良い仕組みをつくり上げるのか。それは社会全体に関わることで、日本全体も色々な意味でスマート化を進めなければいけません。
そこには地方創生も含まれます。これからの地方はコンパクトシティを目指して、アズ・ア・サービス*8(as a Service)をフル活用することで、住民の皆さんが生きがいと働きがい、そして郷土愛をもって定着することが望ましい暮らし方のように思います。
その際に重要になるのがスマート化によって世界と繋がり、グローバルを見据えることです。例えば農業や漁業、林業といった1次産業でいえば、地方から世界に向けてマーケティングして、輸出産業化する。そのためにどのような価値や製品をつくる必要があるのかを考え、そうした価値観をベースに海外や都会の人が体験できる観光業などにも繋げる。1次産業の6次産業化ですね。地方が良くなると日本全体が良くなります。だからこれは非常に重要なことなのです。
先ほど働き方の変化について話しましたが、スマート化が進めば地方に住みながらのテレワークや、二地域居住も進んでいくでしょう。これからはそれぞれの人が自分に最適な働き方を考えて働く場所を選ぶ時代です。地方に住んで遠隔で働く方法もあれば、逆に関係者が集まりやすいという理由で日本橋のシェアリングオフィスを選択するというケースもあるかもしれません。そういう意味で都市空間にも多様な選択肢が必要になっていきますね。
ダイバーシティ(多様性)に富んだ人材が、ダイバーシティに富んだ働き方の中で、ダイバーシティに富んだ「安心・安全で快適な密」の空間を活用する。街の新しい可能性が拡がる、とても楽しい時代になってきたように思います。

[注]
*8 アズ・ア・サービス:従来の製品販売ではなく、製品機能を「サービスとして」提供すること

岩沙弘道(いわさ・ひろみち/三井不動産株式会社代表取締役会長)

1942年愛知県生まれ。1964年慶應義塾大学法学部卒業。1967年三井不動産株式会社入社。1995年同社取締役。1996年同社常務取締役。1997年同社専務取締役。1998年同社代表取締役社長。2011年6月 同社代表取締役会長。

https://www.mitsuifudosan.co.jp

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