『人間交差点』『島耕作』『黄昏流星群』など、
様々な時代の、様々な街を舞台に、人間模様を描き続けている漫画家・弘兼憲史氏。
今回のDORAインタビューでは、2024年に画業50周年を迎えられた弘兼氏に、変わり続ける大都市・東京と、高校時代まで過ごした山口県岩国市の話を中心にお話を伺った。
「混然」という魅力
Q. 弘兼先生は取材などで世界中の都市を訪れていらっしゃいますが、どのような街がお好きですか?
弘兼憲史氏(以下、弘兼) まずひとつは、香港のように規制が少なくて、建築家の自由な遊び場みたいになっている街ですね。これは面白い。逆にイタリアのフィレンツェに代表されるような、素材や色が統一されている欧州の街も素敵です。
どちらも良いのですが、僕は自由につくられたような街が好きなんです。香港の街には、地震のある日本ではとても実現できないような様々な形のビルがあって、街を歩くだけでとても面白い。その点、欧州の街は綺麗なのですが、少しコントロールされ過ぎているようにも感じます。
香港の夜景
様々なデザインの高層ビルが建ち並ぶ香港の街並み
Q. 日本国内ではいかがでしょうか?
弘兼 僕は山口県岩国市の出身です。田舎で生まれ育ったんですが、都会が好きなんですよ(笑)。よく「老後は田舎で、自然に囲まれて暮らしたい」と言う人がいますが、僕は結構「都会のコンクリートの中で死にたい」と思っている人間なんです。だから自宅も鉄筋コンクリートです(笑)。
そういう都会好きな僕がよく足を運ぶのは、赤坂や神楽坂。つまり昔の花街だったところですね。今も芸者さんがいるような、そういう街の雰囲気が好きなんです。京都にもそういう場所はありますが、東京の花街は料亭があるような場所の視線の先に高層ビルが見えます。僕はこういう空間に居心地の良さを感じます。
Q. 色々な要素が混ざり合った街がお好きなんですね。
弘兼 そうなんです。例えば都心のビル群から神楽坂を登ってスッと路地に入ると、急に異世界に迷い込んだように感じますよね。そんな時、ふと目の前のお店に入ってみたくなるんです。
赤坂の街並み
夜の神楽坂
変化し続ける都市・東京
Q. 弘兼先生は、様々な時代の東京を舞台とした人間模様を描いていらっしゃいますが、時代と共に東京の都市風景も変わりましたか?
弘兼 それは大きく変わったと思います。僕が早稲田大学に入学したのは1966年でしたが、当時は高田馬場駅から大学まで、3階建て以上のビルがほとんどありませんでした。まだ駅前の商業ビル「BIG BOX 高田馬場」もなくて、学生時代は駅を降りると目の前にあったパチンコ屋に入る誘惑と闘いながら大学に通いました(笑)。
Q. 大学時代の1966年から1970年というと、ちょうど東京オリンピック(1964年)が終わって大阪万博(1970年)を迎える頃で、まさに日本が発展していく時代ですね。
弘兼 東京は1964年のオリンピックに合わせてホテルや高速道路が整備されたのですが、その後に僕が上京してきたわけです。岩国から出てきた若者としては「都会だ!すごい」と感じたのですが、今から考えるとまだ全然発展していませんでした。僕の少し先輩の時代は、早大正門前あたりは田舎とあまり変わらないような風景だったと聞いています。1971年に新宿副都心の最初の高層ビルである「京王プラザホテル」が完成しますが、東京はそこから急速に「高層ビルの街」になっていったイメージがあります。
弘兼憲史氏
弘兼 面白かったのは、やはりバブルの時代です。東京全体というか、世間が面白かったですからね。「天王洲アイル」をはじめとした「街」の開発が始まり、当時は新しい街ができたと聞くと皆が「観に行こう!」という感じで、社会全体にワクワクした雰囲気がありました。
現在はバブルが弾けてもう30年くらい経ちますが、その間も東京には新しい建物や街区が次々に生まれて、絶え間なく都市風景が変わっています。最近も「麻布台ヒルズ」や「HARUMI FLAG」が出来ましたね。
上京して約60年。振り返るとあっという間でしたが、低層の街並みから高層ビルが林立する現代の姿まで、目まぐるしく変わっていく東京に住みながら作品を描いていたわけです。近年、再開発によって渋谷の街が大きく変わりましたが、次は池袋と聞いています。まだしばらくは東京の変化を自分の目で見れそうなので、どういう街になるのか、今から楽しみです。
1992年に竣工した「シーフォートスクエア」(写真中央)を皮切りに街区が整備された「天王洲アイル」
2025年秋に完成する「HARUMI FLAG」
日本の歴史と米国の文化が混在する岩国の街
岩国を代表する名所「錦帯橋」
Q. 故郷の岩国はどのようなところですか?
弘兼 岩国はかつて城下町だったので、横山地区をはじめとして大明小路や鉄砲小路など、昔の町割や歴史的建造物、地名や風情などが今も多く残っています。そういうところが岩国の魅力で、これは本当に大切にしていかなければならないと思います。その象徴が錦帯橋ですね。今では信じられませんが、僕らが子供の頃は錦帯橋を米兵がジープで渡っていたんです。そういう幼少期に見た光景は自分にすごく大きな影響を与えていて、『島耕作』でも米軍基地問題に関わるエピソードを描いています。
横山地区の歴史的な街並み
江戸時代の家老屋敷の門も残る
でも基本的には、岩国の街で市民と米兵は上手く共存していました。例えば僕らの中学校には米軍将校の奥さんが英語の先生として来ていたのですが、香水の香りがする金髪の女性という存在が、思春期の僕たちにはすごく特別で(笑)。また夏には学校行事のキャンプがあったのですが、そういうイベントには米兵たちも参加してくれて、僕たちにレーション(野戦食)を食べさせてくれたり、キャンプファイヤーやテントの張り方を教えてくれたりしました。僕たちもカタコトの英語で彼らと話して、とても楽しかったのを覚えています。
当時はベトナム戦争の真っ最中でした。ベトナムで負傷した海兵隊の兵士は、岩国を経て本国に戻っていたので、手や足を失った米兵を街でよく見かけました。また「明日いよいよベトナムに行くことになった」という話もよく耳にしました。
このように岩国は歴史的でありながら、長年米軍基地と共存してきたことから、米国の文化も入っているという、とても特徴的な街なのです。
Q. 近年、岩国市では国際化時代に対応した人材育成を図るため、米海兵隊岩国航空基地内にあるメリーランド大学へ就学する日本人の希望者を募集しているようですね
弘兼 そのように岩国に若い人が増えることは、街の活性化という面でもすごく良い取り組みだと思います。
街のポテンシャルを活かす
他にも、岩国には工業地帯という面もありますし、街から少し離れると自然がとても豊かです。錦帯橋の下を流れる錦川は西日本屈指の清流として知られ、本当に綺麗な場所です。子供の頃、僕はよく親父とスクーターで錦川の上流まで釣りに行っていたのですが、釣りに夢中になっていてふと後ろを振り返ると猪が筍を掘っていたり、ミミズクが頭の上を飛んでいったりしたこともありました。錦川沿いに錦川清流線という単線の鉄道が走っているのですが、その車窓からの風景は本当に素晴らしく、お酒なんか飲みながら乗ると最高です(笑)。岩国を訪れたら是非体験して欲しいですね。
清流・錦川。写真左上は岩国城
岩国城から岩国の街を見る
あと、忘れてはいけないのが瀬戸内海です。瀬戸内海の豊かさ、そしてその沿岸の風光明媚な環境というのは、この地域にとって、将来的に大きく発展する可能性を秘めた観光資源だと思います。世界的にはエーゲ海などが有名ですが、僕は瀬戸内海の方が上なんじゃないかとずっと思っているんです。
このように様々な顔やポテンシャルをもつ岩国の街というのは、これから面白くなる可能性がすごくあると思っています。今、中国地方には国内だけでなく海外からの観光客も多く訪れていますが、岩国では錦帯橋だけ見て、そのまま移動して別の街に宿泊する人が多い。だから新たにホテルを建てたり、海の玄関口である新港(しんみなと)をクルーズ船が停泊できるようするなど、少し環境を整備することで、旅慣れた大人や海外の旅行客から見て、とても魅力的な街になると思います。これほど日本情緒のある街ってなかなかありません。今、岩国の人口は年々減少していて、市の一部は過疎地域にもなっていますが、街の活性化のために僕もできる限り協力していきたいと考えています。
大明小路の街並み
多文化共生に必要となる場所
弘兼 これまで世界の様々な都市を訪れてきましたが、快適に過ごすことができるのはやっぱり日本だということを、最近再認識しています。その大きなポイントは安全・安心だということです。NYも面白いのですが、例えば、夜一人で出歩くのに少し不安を感じる。都市生活を楽しむ上で、この安全・安心という要素は非常に重要だと思います。
Q. 日本では今よりも日本人が減り、外国人が増えていくことが予想されますが、どのような社会になって欲しいとお考えですか?
弘兼 日本の都市が国際的になること自体は、別に悪いことじゃないと思います。色々な国から来た人が同じ街に住んでいるという状況は、本来楽しいことだと思います。ただ、日本に住む外国人たちが日本の社会に馴染めるように、国として日本語教育などの取り組みに力を入れることが必要だと思います。日本は大災害のリスクもありますので、非常時にも協力し合えるような関係性をつくることが大事だと思います。
Q. そのように、多様な文化的背景をもった人が増えていく中で、今後、日本の都市にはどのような空間が必要になると思いますか?
弘兼 どの国においても、外国から来た人というのは同じ国の人同士で固まって住む傾向がありますが、これからの日本の都市のあり方について考える時、国籍を越えて集まることができる場所をつくっていくことが重要です。そういう部分で、漫画やアート、料理など、言葉を越えて交流できるコンテンツは、良い繋がりを生むと思います。
故郷の岩国では、歴史的な街でずっと暮らしてきた市民と米軍関係者というルーツの異なる人々が、様々なかたちで繋がることで、上手く共存していました。そういう関係を育むことができるような空間が、日本中の街に広がっていくと良いですね。
本日はありがとうございました。
弘兼憲史(ひろかね・けんし/漫画家)
1947年生まれ。山口県岩国市出身。早稲田大学法学部卒業。大学在学中は「漫画研究会」に所属。
松下電器産業勤務を経て、1974年に『風薫る』で漫画家デビュー。『人間交差点』で小学館漫画賞、『課長 島耕作』で講談社漫画賞、『黄昏流星群』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、日本漫画家協会賞大賞を受賞。2007年に紫綬褒章を受章。